エスカレーターと私


エスカレーターと私

エスカレーターと私

エスカレーターで歩いてはいけない、というのは驚きました。エスカレーターの正しい乗り方は、黄色い線の内側に立って手すりを持って立つ、ということだそうです。

なんとなく勝手に「左側は歩く人、右側は立つ人用」が世間の常識になっていましたが、違ったんですね。じゃあなんのためにあるんでしょう、あれは(笑)

歩いてはいけないのであれば、ただの遅い動くものですよね。どう考えても日本人の性には合いません。

私はかなりのせっかちなので、エスカレーターで歩かないなんて考えられません。たまに右も左も塞いで立っている人がいますが、後ろからチョップをお見舞いしたくなります。

法律的に言えばなんの落ち度もないのでしょうが、もはやエスカレーターで歩くことは普通の日常になってしまっています。歩くなというほうがおかしいと思うのですが。

ただ、特殊なスリッパが隙間に挟まれたり未だに指を挟まれて怪我をする子どももいますから、規制を緩めるわけにはいかないのでしょうね。

それなら、と思うことがあります。2列に並べるエスカレーターを作るから、そもそも歩く歩かないの問題が起こるのです。最初から全て1列にすればいいではありませんか。

そうすれば、前の人が立っていれば歩いて追い越すことができません。歩きたいなら階段を使う。これでいいじゃありませんか。これならベビーカーはエレベーターに回ります。

ベビーカーはさすがに危ないなあと思いますから、エレベーターを使ってほしいですよね。

一時にたくさんの人を運ぼうということで幅の広いエスカレーターになったのでしょうが、そんなことをしたら歩くのが日本人です。恐らく昔からそうです。

逆に要らないなあと思うのが、ムービングウォークです。長い距離のところに設置してあるのはいいのですが、これくらいなら普通に歩くよ、と言うところにもあります。

これこそ電気のむだ使いといいますか、設置している部分の面積すらもったいないなあと思います。

以前東京に行ったとき、渋谷駅にあるとても長いムービングウォークを歩きました。ベコベコしてとても歩きにくかったですが、あれはいいなあと思いました。

ただ、別に必ず必要なものでもないし、これだけ節電が叫ばれている世の中ですから、むしろ今後増えていってほしいかと言われればちょっと微妙ですね。

その存在意義がよくわからなくなってきた、エスカレーターと私でした。

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ニコニコおばさんとむっつりおじさん

こどもの頃、ちょっと苦手なおじさんがいました。いつもムスッとして怒ったような顔をしていて、滅多に笑顔を見せてくれないのです。滅多に…というより、一度も見たことがないかもしれません。おばさんはおじさんと正反対。いつもニコニコと優しい顔をしているおばさんのことは、大好きでした。

おじさんとおばさんはうちに遊びに来ることもあれば、こちらから遊びに行くこともあります。

うちに遊びに来たときは「いらっしゃい!」と笑顔で迎えると、「久しぶりだね。元気だったかい。大きくなったね。」など、何かかにか声をかけてくれるおばさん。でもおじさんは、黙ったまま。お父さんやお母さんとは一言二言交わすものの、私には全然でした。

こちらが向こうのおうちにお邪魔したときは、おばさんがさらに大きな笑顔と元気な声で「よく来たね~!疲れたでしょう?遠いところ、ありがとうね」と玄関で出迎えてくれます。本当にちょっと遠いし本当にちょっと疲れていても、元気なおばさんのお出迎えが長旅の疲れを吹き飛ばし、私を元気にさせてくれます。

そこにおじさんの姿はなし。お茶の間に進むとまるで今気がついたかのように、読んでいた新聞を折りたたみ座っていたイスから立ち上がるおじさん。「やぁやぁ…」とか「あれあれ…」とか、よくわからない言葉をつぶやきながら。

遊びに行くたびにお小遣いをくれ、お正月には可愛いポチ袋に入れたお年玉をくれました。お年玉を渡してくれるのは、おじさんでした。むっつり顔のおじさんとは、どう頑張っても似合わないポチ袋。渡してくれるのはおじさんでも、ポチ袋を選ぶのもお金を入れるのも、きっとおばさんなんだろうな。

「ありがとう!」と元気いっぱいに私がお礼を言っても、おじさんは「どういたしまして」の一言も言ってくれません。別に何か言ってほしいわけじゃないけれど、少し淋しい気持ちでした。本当はお年玉を私にあげるのも嫌なんじゃないかなぁ…とも思いました。

おじさんにあまり良いイメージを持っていなかった私に、おばさんが「ごめんね。愛想がない人で」と困ったように笑いながら謝ってくれたことがあります。おばさんは何も悪くないのに…と思うのと同時に、「おじさんも悪い人ではないんだろうな」とこども心にも思ったものです。どうしてなのか、わからないけれど。